PROFILE

中目智子(なかのめ さとこ)

英語講師・トレーナー・コーチ、英語学習コンサルタント(社会人対象)
日本語教師 (主に欧米ビジネスピープル対象)

 

 資格・認定

  • 青山学院大学 文学部 英米文学科 卒業
  • 英検1級、TOEIC 990点、通訳案内士国家資格(No.3673)、
    ケンブリッジ英検プロフィシェンシー(Certificate of Proficiency in English) を取得。
  • 日本語教育能力検定合格
  • ESAC認定英語学習プロフェッショナル・アドバイザー

 略歴

公立中学1年の英語の教科書が初めての英語との出合い。その後、学校の教科として、また、大学受験の対象としての「勉強」はやったものの、ナチュラルな英語は話せない、聞いてもわからない、というもどかしさが募る一方。

学生時代は家庭教師のアルバイトで英語を教えることは多くても
、英語コミュニケーションの機会はないままの日々。
大学3年のとき、英語を話さざるをえない環境に身をおかねばと、片っ端から電話をかけてアルバイトを探し、カナダ大使館職員ご家族のベビーシッターを引き受ける。ところが、そのご夫妻に会うたびに日本のことをいろいろ聞かれ、英語の面でも、内容の面でも、満足に答えられない自分が情けないだけに終わる。英文科なのにコミュニケーションがうまくできない、日本人なのに日本のことを知らない、という気持ちから、
自分なりに「日本」を伝えられる程度の英語力はつけようと決心し、留学や英会話学校通いをせずに、国内で英語の自主トレを継続する。

大学卒業と同時に一旦は就職するものの、日本の会社体質に自分は合わないとわかり、1年で退職。その秋に初めての海外経験として米国ジョージア州へ。3ヶ月間、小学校や地域の会合で、手作りの資料を用いて日本を紹介してまわる。その活動が認められ、同州キャロルトン市名誉市民として表彰を受ける。

1980年代半ばには、国内の研修施設、語学学校などで、日本語教師としてのキャリアをスタート。並行して、英会話学校や個人レッスンで英語講師としての仕事も増え、その後も2足のわらじを履き続ける。この間に、英語講師仲間であったイギリス人に誘われ、ロンドンに約3ヶ月滞在。多くの友人を得る中で英国と英国人の魅力を知り、その後も何度か行き来を繰り返す。

1987年、通訳案内士の国家資格を得てからは、主に週末、外国人旅行者に都内や箱根周辺を案内。しかし、3足のわらじを同時に履くのはさすがに無理があると悟る。このガイドの経験を活かしつつも、語学の講師として「言葉」&「コミュニケーション」の世界で役に立てるようにと決意。

1992年から1年間、英国ウェールズ大学にて日本語授業をサポート。1993年から5年間は、都内の英国系インターナショナル・スクールでフルタイムの日本語教員として、言葉と文化の両面から、全学年の児童に「日本」を伝える。

これらの年月で親しくなった各国の生徒たちや仕事仲間、友人らとは、手紙とクリスマスカードという紙媒体の時代から親交が続き、今、20~30年のブランクを経て「SNSで見つけた」とメッセージが届くサプライズもある。

1998年以降は、国内大手企業の新入社員から管理職までのビジネス・ピープルを対象に、英語全般、海外赴任前研修、TOEIC対策、Eメール・ライティング、ロジカル・コミュニケーションなどのレッスン・セミナーを講師としてコンスタントに担当。教材開発にも多く携わる。

一人一人に寄り添い、きめ細かなサポートができるようにと、
2010年、個人の受講生向けに Lingual Jingle としてのレッスンをスタート。その後もフリーランスの講師として各方面で英語関連のレッスンを担当しつつ、自身のオリジナル・セミナーやコースを提供している。

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外国人と話すと決まって聞かれるのは、自分のこと、日本のこと ...... かつて自分がそこで苦労し、工夫と実践を重ねたからこそ伝えられる経験が、ご縁をいただく方々にとってのヒントとなるように、そして、一人一人が堂々と自分の英語で話せるように、立場を問わず多くの方が外国語を味方にして夢や目標を叶えていけるように、また、ビジネス、地域社会、伝統文化や趣味など、様々な活動で
国も世代も超えて人々が繋がっていけるように、貢献しつづけることが願い。

 

 著書

『独学英語ー英語との幸せなつきあい方』(中央経済社)  2017年春

 

 言葉の海外体験

初めて行った外国がアメリカのジョージア州。
南部訛りを「本物の英語」だと思い、苦戦する。一方で、ロンドン滞在中は、遠慮のない友人たちに
アメリカ英語をイギリス英語へと逐一直される。

バックパッカー的な海外一人旅とミニ居候を、若い頃に何回も。いろいろな国のいろいろな英語に触れ、気持ちが楽になる。

1994年の年末、キリマンジャロ登頂。
1997年の春、ヒマラヤ・アンナプルナをトレッキング。
スワヒリ語とネパール語の「山のサバイバル言葉」だけは、やたらと覚える。1998年、エクアドルで開催されたアドベンチャーレース「レイド・ゴロワーズ」参加の
日本チームに、サポート・メンバー&通訳として同行。英語とフランス語が飛び交う中、
チームつき現地ドライバーが話せるのはスペイン語のみ。お互い言葉がまったく
わからないのに、何日にも渡るレース中ずっとよくしゃべり(?)盛り上がる。

1990年代半ばから数年の間に、西アフリカのギニアに3回、マリに1回、
短期でパーカッションを学びに行く。
そこは現地語に加えて公用語であるフランス語の世界。アフリカ訛りのフランス語に親近感を覚え、大学以来片言のままだったフランス語でなんとかコミュニケーションをと頑張る。

以上のスワヒリ語、ネパール語、スペイン語は、その後まったく上達していない。フランス語だけは諦めきれないでいる。

 

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